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死なない虐待死

タイトル矛盾。

 

肉体的には死んでないけれど精神的には死んでしまう虐待というのは毒親家庭では非常によくある光景だと思われます。そしていつも殺すのは自分自身です。自害です。自殺です。自分が悪いと思いながら死ぬのです。なんででしょう。子供ながらに自分が悪いと自分を責めそうして命を絶つのです。

 

セクハラモラハラパワハラ虐待いじめその他諸々が最近取り沙汰されるようになった裏面ははっきり言ってとてもわかり易く、声を出す人たちが増えたからです。声を発信するツールが増えたからです。そしてそれを受信する耳もツールも揃ってきているからです。今までもありました、当然ありました。しかし問い合わせする場所も少なく、問い合わせしても聞く耳を持たれず泣き寝入りをすることが多かったのです。それが今やまったく関係ない場所に問い合わせても取り沙汰される始末。件数が増えたのではなく、ツールが増えたのです。悪いことではありません。

 

虐待のニュースを良く見ます。

でも今まで虐待がなかったわけじゃないんです。

 

わたしがあるとき役所に飛び込み「親に殺される」と相談をしたことがありました。家を出る少し前の話です。結果としてわたしは殺されはしませんでしたが殺されたのでしょう。もうあの時、無理でした。自分自身の解釈や心持ち、自害や自殺、人格の崩壊や殺害でどうにかなるレベルではなかったのです。その際に役所の人や関係各所は口を揃えて同じことを言いました。

「親と相談してください」

「親子なんだから」「わかりあえるはず」

 

親という皮をかぶった言葉の通じない化物の存在を知らない彼らは、こう言います。第三者機関に相談してもどうにもならない理由がこれです。一番重要で、一番瀬戸際で、一番追い詰められた人間に対応するポジションにいる人は、ぬくぬくとした家庭環境で育っているのです。わかるわけがないのです。親が子供を、なんの理由もなく、なんの悪意もなく、毒して動けなくして自尊心を崩壊させて奴隷にする理由がわからないのです。

 

福祉は大抵がそうです。ケースワーカーと話して呆れたことがあります。

精神科医もそうです。おまえたち、ぜんぜんなんにもしらねえんだな、っていつも思います。

| 2018.06.30 Saturday | 雑記 | 壱原 | 拍手ビンタ |

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